アルソウム族と宗教(初期ギベオン教団の成立まで)

「帝国」運動と宗教

帝国歴開始以前、南大陸各地では様々な宗教が信仰されていた。

それらの宗教は民族宗教であり、民族の始まりと初期の歴史を語るものだった。

エマオ人はエマオ人の、ウォラグネ人はウォラグネ人の、バツェ人はバツェ人の、ハミジエ人はハミジエ人の、ブレニ人はブレニ人の民族宗教を持っていた。

1700年前、エマオ人の中から生まれた「帝国」運動は各地で有能な人材を取り込んで拡張していったが、「帝国」として特定の宗教を持っているわけではなかった。ただ、エマオ地方で信じられていた主要な神々の祭壇は帝国の植民都市でも数多く作られていた。

南大陸各地で「帝国」運動に参加したウォラグネ人やバツェ人やハミジエ人はそれぞれの民族宗教を帝国の植民都市に持ち込み、もともとのエマオの宗教に接合していった。様々な神が新たにエマオの宗教に入り込み、それらの神々の神話が創作され、祭祀が生まれた。数多くの神秘的体験が報告され、これらは神意を表すものとして慎重に記録された。

こうして帝国歴200年頃までに初期ギベオン教とこんにち呼ばれるものが成立した。初期ギベオン教の文書は古代エマオ語で書かれた。それらは神話や祭祀の記録が主であったが、人々の神秘的体験における神々の行動や言動の理由を考察するものも多かった。何故、この神はこの時にこのような行動をし、このようなことを口にしたかを人々が話し合った記録である。これらの記録は後に「初期対話録集」としてまとめられ、教団の変革に大きな役割を果たすことになる。

なお、ギベオンとは古代エマオで使われていた大皿のことである。初期ギベオン教団でこの大皿を祭祀に用いたからとも、何でも手当たり次第に行く先々の神々を取り込んでしまうところが、大皿に積み上げられた雑多な食料のようであると揶揄されていたのだとも言われている。

ウアカパ信仰の取り込み

初期ギベオン教が帝国の枠を越えて広まるきっかけとなったのは、500年頃のアルソウム族の西方植民、「六祖西征」である。

アルソウム族もまた故地である東方のウジュホロドから独自の民族宗教をもってきたが、リエカ川とディエブ川の中下流域に植民していく過程で帝国民との交渉が生まれ、ある種の共棲的な関係をとって帝国はアルソウム族に取り込まれていく。この時、ウジュホロドからもたらされたのが太陽神ウアカパにまつわる神話群である。

内水面の水上交通により発展したエマオ族系の帝国民の間ではカルシ/カルセイ川の女神カルセイを主神とした水の神々が重視されており、これらはカルセイ神話・川の神話などと呼ばれているが、主にディエブ川流域の植民都市で活動していた教団の「兄姉」たち(兄弟団における上位者を教兄・教姉と呼ぶ)によるウアカパ神話群の取り込みによって、初期キベオン教はアルソウム諸部族へと浸透していった。

これはまた、帝国の各植民都市が都市国家から領域国家へと発展的に解消されてゆく過程とも重なっていたと考えられている。血統と血縁による紐帯を核とした部族社会であったアルソウムの六支族が異民族を吸収していく上で、帝国民を医師や法律家や商工業者として取り込んだこの時期の経験が、この少し後に始まったウォラグネ人との融合に生かされていたという説は、以前のような武力による帝国とウォラグネの征服説にかわる、現在最も有力な仮説である。

ウアカパ信仰を取り込んだ後のギベオン教団を神話体系の観点から初期ギベオン教団と区別し、前期ギベオン教団と呼ぶ立場もあるが、現在主流となっているのは、教団の組織や神学の発展段階から初期ギベオンと同一のものと見る立場である。

タイトルとURLをコピーしました