何故、イェビ=ジェミは「双剣」が高価なものだと気づかなかったのか

 「双剣の運び手」イェビ=ジェミが双剣を手に入れた時に何故それが高価なものだと気づかなかったのか、というご質問も頂きました。

 この「双剣」は用語集にある通り、公式には1540年代前半(トゥーバの戦いの5-10年前)に首都ゼルワ近郊の刀匠の工房で製作されたことになっていますが、実際にはおかしな点が幾つもあり、剣の本体そのものはもっと古い時代から存在したのではないかと見られています。表には出せない経緯でとんでもない曰く付きの2本の剣をマハラビエ侯爵家が入手した際、表向きの由来を捏造したのかもしれません。

 その後、侯爵家の次期当主グウィルが従軍(1546年9月)する際に双剣は「何の変哲も無い軍用剣」に見えるように改造されています。鞘や柄やハンドガードを安物に交換したわけです。双剣はグウィルとともに1547年に海外領土であるラファル島に渡り、1550年3月に北大陸のイグリム市まで行って、そこでグウィルは初めて双剣を対人戦闘に使ってその力に恐れおののくことになります(「兵站の王」)

 軽く息を弾ませながら、グウィルは剣を鞘にしまった。もとより斬りつけるつもりは無かったが、それでも一瞬、グウィルは自分が剣の力に酔っていることに気づいていた。あの時、自分は笑っていた。剣の切れ味を試してみようかとも、一瞬考えたはずだ。

兵站の王 Commissary General ―アルソウムの双剣Vー

 そして双剣はグウィルの本国帰還のドタバタの中で侯爵家を離れます。

「宿舎には立ち寄られますか?」

「いや、大したものは残っていないからね。君たちにあげるよ。後で処分しておいてくれ」

 兵士たちの表情が少しだけ緩んだように見えた。末端の兵士たちの生活は決して余裕があるものではない。参謀将校の置いていく私物程度でも、売って懐の足しに出来るならばありがたいものなのだろう。

兵站の王 Commissary General ―アルソウムの双剣Vー

 グウィルは右腰の後ろを手で探った。短剣の柄は手に触れなかった。どうやら剣も短剣も事務所に置いてきてしまったらしい。だが、取りに戻ろうとは思わなかった。もはや自分には必要無いものだ。誰か必要な人間が使えば良い。短剣の替わりに指先に触れたものをグウィルは握りしめる。

兵站の王 Commissary General ―アルソウムの双剣Vー

 このように、双剣をグウィルから引き継いだのは名前もわからないチェレク連隊の兵士の誰かです。そしてトゥーバの戦いの後でイェビ=ジェミが剣を買い取る、という流れです。金貨3枚ですから、日本円で25-30万円くらい。役職付きではないアルソウム陸軍の兵士の給料のおよそ1ヶ月分です(他の職種より高給です)。

 では、イェビ=ジェミを含めて陸軍の兵士たちにとっての剣とはどんな位置付けかというと、こんな感じです。

折れた長槍も新しいものと交換される。最前列の長槍兵は、左足で長槍を支えつつ右手の剣で敵の馬の脚を叩き切る動きをするから、剣も折れたり曲がったりする。そんな兵士のところには、すぐさま交換用の剣が届けられる。剣は使い捨ての消耗品だ。

道しるべの歌 Waymark Songs ―アルソウムの双剣I―

それから左腰に細身の長剣、右腰には短剣を差す。傭兵にとって剣は消耗品だから、今使っているものも一年前に王宮前広場で買った、取り立てて飾り気があるわけでもないありふれたものである。

叙任式 Accolade ―アルソウムの双剣外伝VIplus―

両手で長槍を握りしめたファイスは、レピの方を向いて軽く長槍を持ち上げてみせると、くるりと振り向き、上段、中段、下段の型の演武を一通り披露してみせた。下段の型ではわざわざ長槍を素早く左手に持ち替えて、右手で剣を引き抜くところまでやった。これは実戦では方陣の最前列の歩兵が時折やるもので、騎兵突撃を迎え討つ時の動作である。大げさな動きでファイスが剣を鞘に収め、そのまま流れるような動きで長槍を右肩に担ぐと、集まった人々から万雷の拍手が鳴り響いた。

本来これは傭兵会館の前で披露する演武なのだが、リムがレピを呼んでしまったのだから、ここで格好いいところを見せておくのが、レピへの礼儀というものだろう。

叙任式 Accolade ―アルソウムの双剣外伝VIplus―

 日本の江戸時代の武士とは違って、アルソウムの傭兵にとっての剣は実用品、消耗品扱いです。軍務についている時は剣は連隊から貸与されますし、フリーランスとして民間で開業している時はそこまで大金を経費で使えるわけでもないので、1本で金貨1枚(8-10万円)出したらちょっと張り込んだねという感覚ですね。

 連合王国で刀剣に高いカネを払うのは貴族や大商人で、これは置物、室内装飾品扱いです。イェビ=ジェミを含めた現場の兵士はそもそも高い刀剣類など見たことも無い、それどころかそういう世界があることすら知らないので、何か変な色の刀身だなくらいのことしかわからないから、道具としての剣の中古の値段に少し色をつけて売買していたということですね。

 また、双剣は(おそらく)意思かそれに類する複雑なプログラムを持ったアイテムなので、必要の無いときには目立たないように外観を(光学迷彩かなにかで)変えているのかもしれません。

 戦闘中には不思議な光を発することもありますし

「イオルド!」 ファイスの呼びかけに応えて鞘から飛び出した長剣が、空中で軽やかに折り返す。次の瞬間には紅い光をまとった灰色の鋼鉄がバツェ兵の脇腹を切り裂いていた。ファイスの手のひらにコツンという感触が届く。切っ先が肋骨を切断したのだろう。鮮血とともに内臓が飛び出す。

湖賊 Bandits on the Lake ーアルソウムの双剣IIIー

 双剣の使い手に何かを語りかけることもあります。

 ファイスは両手で双剣の鞘を握りしめた。鞘の中で2匹の竜が笑ったような気がした。

 遥か昔、この湖から遥か北の中央山塊まで旅をして竜たちにグアダムルの岩山をもらい、連合王国の礎を築いた族長クルサ・リトムル。かつてリトムルに向けられていた竜たちの笑いに、それは、少しだけ似ていたかもしれない。

湖賊 Bandits on the Lake ーアルソウムの双剣IIIー
このような剣が一般的

補足:アルソウム部族法における銃器・刀剣類の扱い

 連合王国では刑法は部族法に含まれていますが、刀剣類もその中で取り扱いについての規定があります。

 まず、刀剣類の所有には制限はありません。誰でも所有出来ます。

 刀剣類の携行には制限があります。

 フルサイズの剣(刀身の長さが0.2スムート:34cmを超えるもの)は14歳以上でないと携行出来ません。傭兵見習いになれるのが14歳からなのは、これが理由です。

 また原則として刀剣類は鞘に収めての携行です。市街地の路上や往来で鞘から出すと処罰されます。

 槍と短銃・銃は特別な許可を受けた者(害獣駆除、美術品、傭兵親方資格のある者)だけが所有可能です。公務に就いている者以外が槍を路上で持ち歩いて良いのは、傭兵親方の叙任式などやはり特別な許可がある場合のみです。

 大砲(口径およそ3cmを超える火砲)は連合王国陸軍・海軍以外は原則として所有出来ず、これらの製造工場も敷地・施設は軍の所有となっています。

 これらの規制がどの程度守られているか、ですが、規制を破った場合の取り締まりはかなり厳格なのと、民族間の対立回避が国の基本政策なのとで、現代のアメリカより遥かに治安は良いです。法執行公務員は連合王国全体で6万人弱、人口比だと住民350人に対して法執行公務員が1人(現代日本は500人に1人)ですが、各種の同業者組合の組合内自治がしっかりしているので、特に武器関係の法令を守らないことのリスクはかなり大きいです。組合や村落共同体(大都市の「通り」共同体も含む)から追放されることは生業を失うことに直結するので、「中庭の連中」のようなアウトサイダー共同体を含め、仲間内の自治はかなりしっかりしています。

 私闘・私刑も厳禁で、やはり規制を破ることのリスクは大きいですね。

 もちろん盗賊や追い剥ぎ、こそ泥などの犯罪者は皆無ではないですし、誘拐や強殺、人身売買、売春強要などの凶悪犯罪をする者も居ないわけではないのですが。

 最高権力者にしてこれだけの制約がかかっているので、下々が法律を無視して暴力でやりたい放題というのは「あり得ない」のです。どんな英雄豪傑も魔法使いも、人口2000万人の法治国家の法執行能力には抗しえません。

 

 

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